忍耐強さ…決してか弱くはないHSP

よく勘違いされてしまうのが気の弱さとか繊細さ…

決して気が弱いわけではなく、多分どちらかといえば頑固な部類であろう。
優しさゆえに相手を思い自分の本当の気持ちを言い出せないだけで、優柔不断で決められない…というわけではないはずだ。

腑に落とせないことは納得できない。それでも相手の希望、要望を察し、相手の望む方向で頑張ってしまう…自分の本当の気持ちを抑え込み頑張れてしまう忍耐強さ

小学校の頃、お掃除当番や給食当番でも
みんなが嫌がるような仕事を一生懸命やっていたような気がする。何故かいつも重い食器を運んでいたり…そんな記憶がある。

高感度の感受性はさまざまさなことを受信してしまう。

そばにいる人の顔色や、体調、感情の起伏
すれ違う人の威圧的な空気
細かい網目ですくい取ってしまったさまざまな情報を深く考えてしまう…それ故の疲弊感

考えすぎてしまって一歩踏み出せなかったり、逆に考えすぎてしまうことに耐えられなくなって、どうにでもなれって飛び出しちゃったり

そんなことから派生する対人関係の悩みかもしれない。

そして、変わってるねとか
気にしすぎじゃないとか
マイペースだね

なんで上辺しか見えない人たちの言葉に傷ついてしまった心の痛み


マイノリティがゆえに、誰にもわかってもらえない感覚がとても多いのではないだろうか

4年生の頃…
からかいや(言った方にとっては大したことがないような)何気ない言葉に傷つき、学校に行くのが本当に嫌だった…優しいおばあちゃん先生がみんな引き連れパンを届けにきてくれるのも…本当に嫌だった(なんでいじめる人とか連れてくるのかなぁ…こんなとこに住んでいるの知られたくないなぁ…と思っていた)
「みんな待ってるよ」的なメッセージなんだとわかってはいたけれど…

結局、5年生から休まずに学校に行こうと決めた時に考えていたことは『休んでいるときにいろいろ言われるのはやだし…だったら休まない事にしよう』『大人になったら気持ち悪いとかブスとかいじめた人たちがびっくりするくらいに綺麗になるんだ』とか…(笑)
確かいろいろな本も買って顔の洗い方から歩き方まで研究したり、心の方はパレアナの「幸せの遊び」を参考に楽しいことを数えるようにしたり。

お天道様は見ている筈と、誰も見ていないところで良い事をするとか…それでも辛い事は多くて


HSPの方々に向けた活動をする前の私は
いつも居場所を探していたような気もする


なければ創り出す…そんな気持ちもあり交流会やワークショップなどコツコツと開催していたようにも思う

その中で受容と共感の場の優しさを知り、心理学やセルフマネジメントできる認知行動療法を学び…本当に私の道は大きく広がって

57歳の今も夢を持ち、
自然の中で心を解放する術を知り
幸せを感じるひとときがたくさんある


心から
ちょっと頑固で変わっている
季節の移ろいや自然の恵みを楽しめる気質でもあるHSPで良かったなと思っている

これからも受容と共感の場をHSPの皆さんと体感していきたいなと…そして多くのHSPの方にも、決して私たちは弱くはなく、しなやかで折れない心を持つ気質である事を感じ取って欲しい



HSP&内向型 Empoerment PEACEFUL SPACE

HSPワークショップやHSPカウンセリング講座、交流会などのお知らせと、HSPの方々が気持ちを楽に過ごせるような日々のプチアドバイス

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